2021/09/07_金融のことが気になるようになった今日この頃
金融や経済のことが気になるようになった今日この頃。
最近は自分の専門分野以外に、これらの本を読むようになった。
元々の始まりは、「なんで格差があるんだ?」という純粋な疑問。
これは、高校生になったくらいの時からずっと考えていて、自分が日本の中で経験することや出会う人たちを観察しながら答えを探してきてた。
いまだしっかりこの疑問に対して言語化できる明確な答えまではたどり着いてはいないけど、どうやら社会のシステムに原因があるんだなってことは見えてきていた。
そして、経済の知識が溜まってくるにつれて確信に変わりつつある。
年齢を重ねながら自分の知識レベルが少しずつ上がってくると、「格差は「教育」によって生まれる」ということに一つの答えを見た気がしたのだけれども、
教育っていものの仕組みを掘り下げていくと、どうやらそれも少し違和感が出てきた。
学校教育についても色々と考える余地はあるものの、ここでは学外の学びについて考えてみる。
学び直しは自分の気付き次第で小さなことからスタートすればいつでも始められると思うけれど、そんな欲求を持つことや気付くことが難しい。
仮に学べる場があるといっても、そして十分に質の高い学びの機会があったとしても、そこには学びたい人が集まってくるだけで、「本来潜在的に学習の機会を求めているのに得られない人、失ってる人」には届かないし、こういったジャンルはビジネスとしても成立しないから格差の問題は根本的なところで一向に解決しない。
そこから「そもそも誰もが気兼ねなく集える場所って一体どんななんだろう」と疑問に思ったところから「コミュティ」という概念や活動への関心が湧いた。
コロナ禍になる前の2年くらいの間、熱心に活動されている地域の色んな取り組みや勉強会や講演会に足を運んでみたり話を聞きに行ったりしたんだけれど、そこに集まっている人たちは元々持っている素地そのものががすでに高いレベルの人たちで、
社会課題に関心を持ち住む地域をより良い場所にしたいと取り組んでいたり、あるいはコミュニティ形成をビジネスとして行なっている人たちがいたりした。
「つながりを作る」
ここをキーワードにして様々なコミュニティ形成が模索されてて、それは飲食を介した形であったり、文化的な教育要素が核であったり、生涯学習的な教育要素が核であったり、自分らしく過ごす(=自分らしくある)ことでありのままを受容する文化を取り戻そうとするものであったり。
どれも人が自分らしく多様に生きるため精神的な充足を満たすことができるコミュニティで、その魅力の中心にあるのは、「何をやっているか」ももちろんあるのだけれど、何よりも「その場を生み出している人達」だった。
世の中こんなに格差あるのなぜ? → そうだ、解消はきっと教育だ! → 教育の内容そのものに主体的に集まるのはより高いレベルへの到達を目指す目標がある人たちじゃん → そうじゃなく自然に人が集まって結果的に相互に好影響を受け合う形ってあるの? → 人が集まる色んな場に行ってみよう → めっちゃ人が集まってる! → 人が集いたくなるってどういうこと? → そっか、場を生み出す人の魅力が吸引力となって引き付けられるんか・・・
って感じで、ここまでがこれまで自分自身で体験してきたことや得た知識からの途中考察。
そして気づいたこと。
教育そのものはどうも私が長年抱えてきた格差に対する疑問の直接的な答えになる気がしない。
こんな言い方をしたら嫌味な感じに聞こえるかもしれないけれど、見てきた世界から言えることは、そういった場にアクセスできるのはそもそも格差の上流にいる人たちだ。
好奇心を持てることそのものが実は本当はとても贅沢なことで、恵まれた環境にあるか、あるいは成長の過程で運よく学ぶことに興味を持つ機会や成長の機会を得られたからに他ならないんだろうなという気がしている。
だからこそ、教育のあり方とかでなくて、そもそも論として国や自治体や家庭の「経済」や「経済の仕組み」が様々な社会問題の理由のような気がしてて。
そこから湧き出てきたのが「お金を稼ぐって何?どういうことよ?」という疑問。
で、そう考え出すともう興味の向く先はエンドレスで、歴史や地政、宗教、産業、交易、貿易、金融、資本、共産、国家・・・ありとあらゆるものが複雑系で絡み合ってる。
全ての軸は生きるための価値交換にあって、ここら辺を自分なりに言語化していくことがきっと解決の糸口になるんだろうなと思う。
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というのが今日の私の思考の位置です。
今日のゆるーく日記はとりあえずここまで。
あー、本を読むのに時間が足りない。